山城新伍が遺した悲しい遺言!元妻と娘と絶縁!!「2人には伝えるな」

映画俳優で、バラエティー番組の司会でも活躍した山城新伍(やましろしんご)が12日午後3時16分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、東京・町田市の特別養護老人ホームで亡くなった。70歳だった。

14日、横浜市内の斎場で行われた密葬に、元妻で女優の花園ひろみ(68)と長女の女優、南夕花(42)は参列しなかった。

3人の元家族は絶縁状態にあったといい、山城は、ある"遺言"を残していた。「サンケイスポーツ」が報じている。

4年前から糖尿病をわずらっていた山城の容体が急変したのは今月10日。

連絡を受けた弟の渡辺鎮雄(69)が京都の自宅から町田の老人ホームに到着したのは12日午前11時ごろ。

ベッドに横たわる山城さんは酸素呼吸器をつけ、話ができない状態。はじめは呼びかけに反応していたが、徐々に反応もなくなり、「手を握ったら冷たくなっていた」という。兄と弟、2人きりの別れとなった。

関係者によると山城は、元妻と娘への訃報の知らせを拒んでいたといい、「2人には伝えるな」との"遺言"を残していた。

糖尿病で車イスの生活を余儀なくされていた山城は昨年6月ごろ、町田市の特養老人ホームに入所。

同年秋、「週刊文春」の取材に「面会には昔のマネジャーと弟がふた月にいっぺんぐらい来るけどね。そうじゃないと寂しいじゃない」「ここが終の棲家」などと語った。

この記事が掲載された後も、花園と南が見舞いに訪れることはなく、山城はそのことを恨んでいたという。

しかし、これまでの山城と花園の間には激しい愛憎の歴史があった。

山城は1966年、東映の同期だった花園と結婚。助手席に花園を乗せた車を湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ」とプロポーズした壮絶な結婚だったが、山城の不倫が原因で85年に離婚。

その後、山城は「復縁したい」「今でも愛している」と花園にラブコールを送り続け91年には再婚。

しかし99年に再び離婚。当時、娘の南は山城の言動に不信をあらわにし、「父と呼びたくない」などと決別を宣言。父親の戸籍から自分の籍を抜いたことを明らかにした。

以来、元夫婦と親子の関係が、好転、修復されることはなかった。

凄絶な遺言の原因となった文春の記事で山城は「娘には会いたい」と口にしていたが、自らも親子の情を断った悲しい旅立ちとなった。(淺川)


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