赤塚不二夫最期の時を振り返る・・・悲しすぎる悲報・・・
「おそ松くん」「天才バカボン」などで知られる人気漫画家・赤塚不二夫(あかつか・ふじお=本名・藤雄)さんが8月2日午後4時55分、肺炎のため都内の病院で死去した。72歳だった。赤塚さんは98年、ウイスキーグラスを片手にがんを公表。その後、02年に脳内出血で手術して以降、闘病生活を続けていた。2日午前、今年2月に患った肺炎が悪化し、血圧が低下。
容体急変を受けて長女りえ子さんらが駆けつけた。緊迫した状況が午後になっても続き、午後5時前、肉親だけに囲まれて眠るように静かに息を引き取った。最後まで意識が戻ることはなかった。
りえ子さんは赤塚さんの前妻の娘で、その前妻は先月30日に68歳で亡くなったばかりだった。りえ子さんは母親の葬儀をまだ行っておらず、この日も母親の実家から病院に急行。両親の相次ぐ死に、りえ子さんは憔悴し切っている。
容体急変の連絡を受け、漫画家仲間の藤子不二雄(A)さん(ふじこふじお=74)、北見けんいちさん(きたみけんいち=67)が病室に駆け付けたが、間に合わなかった。
長年、赤塚さんのアシスタントを務めた北見さんは「安らかな顔でした。これまで赤塚さんは頑張ってきたのだからみんなで送り出してあげたい」と話すのが精いっぱいだった。
赤塚さんは、終戦後間もなく旧満州から引き揚げ、奈良県、新潟県で少年時代を過ごし、中学卒業後、漫画家を志し手塚治虫さんを慕って上京。東京都豊島区のアパート「トキワ荘」で無名時代の漫画家、石ノ森章太郎さん、藤子不二雄(A)さんらと暮らし、共に腕を磨いた。
「天才バカボン」「もーれつア太郎」などの人気作を連発。イヤミ、バカボンのパパ、ニャロメなどのキャラクターを生み出す一方、「シェーッ」「これでいいのだ」などの流行語を生みだした。
晩年は闘病生活を余儀なくされ、食道がんが見つかって以降も好きな酒を手放さなかった。がん闘病について取材が殺到すると、「うちはね、今ちょっとした『がん景気』なんだ」と周囲を笑わせた。
アルコール依存症治療のため毎月のように入院し酒を抜く「ウオッシュアウト」を繰り返した。退院しては飲み、「ノーメル(飲める)賞だな」とギャグを飛ばした。
「人間、死ぬときは死ぬんだよ。それまでは一生懸命仕事をしようと思ってね」と、00年に「目の見えない人にも楽しむ権利がある」と、点字の漫画絵本「よーいどん!」を発表。第2弾の「ニャロメをさがせ!」も02年に発売するなど、最後まで創作活動に意欲をみせていた。
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